第八話 覚悟の時
「えっ? こんな昼間に共ですか?」 梅乃と小夜が驚く。
「そう。 勉強をしましょう」 玉芳は、そう言って出かける準備を始めた。
そして向かった先は、仲の町にある瓦版《かわらばん》であった。
「ごらんなさい。 ここに沢山の記事があるでしょ! ここから文字や出来事を頭に入れなさい」
梅乃と小夜は、瓦版を覗き込んだ。
「これは何て書いてあるんですか?」 小夜が玉芳に聞くと、
「これは、法度。 禁じられてる事を言うのよ」 玉芳は丁寧《ていねい》に教えていた。
そこに鳳仙が現れた。
「おや? 玉芳花魁、今日は昼間からどうしました?」
「あぁ、鳳仙か……この娘たちの勉強さ。 妓楼の中での勉強は限られるからね」
玉芳が二人を外に連れ出したのは、妓女としてだけでなく一般教養《いっぱん教養》も大事だと思っていた。
「なんで、妓女だけの教養だけじゃダメなんだい?」
鳳仙は不思議に思って、玉芳に聞いた。
「そりゃ……もし、誰かに身請けされても一般の教養が無いのに吉原を出たら不便だしね。 できる限りの事はしてやりたいのさ」
玉芳の言葉に鳳仙も小さく頷いた。
「それなら、私もやるわ。 それだったら、禿たちの学校でも作ってあげたいね」
一流の花魁は、物分かりが良すぎていた。 また、それが世間知らずで育った証拠でもある。
それから日中の午後は玉芳と鳳仙の部屋、交互《こうご》で禿たちの勉強を行った。
「私ですか? まぁ、それくらいなら……」
そして、講師として妓楼で働く男性が招かれた。
妓女であれば吉原から外には出られず、情報も少ない。 ここは、男性に習うのが一番だと玉芳は思っていた。
まず、読み書きから始まった。
捨て子である梅乃と小夜は一生懸命に勉強していた。
また、鳳仙に付いている禿も頑張っていた。
「ほら、絢《あや》。 アクビしない」
鳳仙が注意している。
鳳仙楼の禿は絢という。 絢は男の子みたいに髪が短く、快活《かいかつ》な女の子である。
そして、親の借金返済の為に吉原に売られた禿でもある。
そして勉強が始まって、数週間が過ぎた頃
「しかしさ~ 面倒見が良いよな……ただ、本当に禿の将来を思ってだけ?」
鳳仙は唐突《とうとつ》に聞いてきた。
「そうよ……ただ、私には時間が無いから……」 玉芳の言葉に、鳳仙は合点《がてん》がいった。
(確かに、玉芳は三十近くなる。 ここで次の花魁の問題やらが出てくる……)
鳳仙も二十七。 もう、考えなくてはいけない頃になってきていた。
この日は鳳仙楼での勉強会。
いつも二時間ほどの勉強だが、確実に禿たちの学力は上がっていった。
「今日は行かれないんですか?」 梅乃と小夜は残念そうにしていた。
「今日は用事があるんだよ。 花魁ってのは忙しいんだよ」
玉芳は、二人を見送った。
「邪魔するよ」 采が玉芳の部屋に入ってきた。
「随分と、あの娘たちに熱心じゃないか」
「えぇ……しっかり育ってほしくてね」 玉芳は、采に言う。
「もうそろそろ、お前自身も考えなくちゃ……なんだけど」 采が話しを切り出した。
(いよいよ来たか……) 玉芳は、解っていた。
「お前の借金なんか、とうに無くなっている。 今後はどうする? 身請けの話しも沢山、来ているんだ……」
采は、玉芳の今後を案じていた。
「お前の人生だ、お前が決めな。 ただ、年齢も年齢だ」
そう言って、采は部屋から出て行った。
「どうするかねぇ」 玉芳は、キセルを咥えて空を見上げた。
花魁であろうとも歳を取る。 歳を取った妓女は相手にされなくなるものである。
そんな花魁と呼ばれた者の先は数少ない。
身請けか、やり手になるか。 それとも小見世の遊女として働き続けるかだ。
玉芳には幸い、三原屋の借金が無い。 簡単に言えば、いつでも吉原から外に出られる身分である。
ただ、外の世界を知らない玉芳には勇気のいる事でもあった。
そんな自分を見て、“外で通用しない人間にしてはいけない ” と、言う思いから禿に勉強をさせていたのだった。
その途中に、采の言葉が飛び込んできた。
その頃、禿たちに お菓子が配られていた。
「おいし♡」 梅乃と小夜はご機嫌である。
禿たちにお菓子を配っていたのは花魁である。
勉強のご褒美に、毎回お菓子を与えていた。
「いつも、ありがとうございます。 鳳仙花魁……」 梅乃と小夜は頭を下げて、お礼を言う。
「いいんだよ。 コッチこそ、玉芳姐さんにはお世話になっているし」
ここ最近、鳳仙は玉芳の事を『姐さん』と呼ぶようになっていた。
この勉強会で親密になっていた。
梅乃と小夜は妓楼に戻り、玉芳の部屋に来ていた。
「花魁、失礼しんす……勉強、終わりました」 梅乃が声を掛けると、玉芳は上の空であった。
「花魁……?」 梅乃が声を掛けると
「―はっ? あぁ、おかえり」 慌てて返事をした玉芳の行動に、
「……」 梅乃は、それ以上の言葉が出てこなかった。
そして夕方。
「花魁、通ります。 三原屋の玉芳花魁が通ります」 梅乃は大きな声で仲の町を歩いていた。
そして引手茶屋に到着して、客と挨拶をする。
「梅乃ちゃん、小夜ちゃん、今日も元気だね」 常連である客は、いつも二人の禿の頭を撫でていた。
そんな優しい客は 大江《おおえ》 辰二郎《たつじろう》と言い、佃煮屋《つくだにや》の主であった。
「大江様、いつもありがとうございます」 玉芳は、禿にも優しい大江を好意にしていた。
「なに、玉芳花魁の教育の良さが滲《にじ》み出ているからさ」 大江は、梅乃と小夜を誉めていた。
そして酒宴となり、禿の二人も時間までは同席していた。
「それで、玉芳……ワシの所へ来んか? 身請けさせてもらいたいのじゃ」
大江は、酒宴早々に言い出した。
「なんで、こんな時間に……」 玉芳は、驚くように言った。
「す、すまん……ずっと言いたかったもので、つい……」 大江は苦笑いをしながら弁解していた。
そこで聞いていた梅乃と小夜は、着物を「ギュッ」と掴んだ。
本来なら、『私の姐さんを取らないで!』 と、言いたいが、ここは妓楼である。 これが商売であると理解をしていた。
「いい話しでありんすが……ここは、まだお納《おさ》めくだしんす……」 これが、今の玉芳の返事であった。
「そっか……すまなかった」 大江は、場の静けさに気が付いた。
それから梅乃は勉強どころではなかった。
『花魁が身請けされたら……』 そんな気持ちで いっぱいになっていた。
そして、後朝の別れの時間。
玉芳は、見送りに大門まで同行していた。
そして、玉芳の後ろには梅乃が立っていた。
「お嬢ちゃん、またな」 大江は優しく手を振った。
「えっ?」 梅乃が立っていることを知らなかった玉芳は、驚いて声を出した。
「ありがとうございました」 梅乃は、大江に深々と頭を下げていた。
(この娘ったら……) 玉芳は、すっかり親の顔をしていた。
「すっかり母親だね~」 大江はニコニコして車に乗って行った。
「お前、起きてたの?」 玉芳は、目を丸くしていた。
「はい。 眠れなくて……」
「そっか」 玉芳は、そう言って部屋に戻って行った。
この日から玉芳は考えるようになった。
(現実から目を背けてはダメだ……)
それから数日後、采が玉芳の部屋に来た。
「決まったか?」
「そんなに妓女を整理したいですか?」 玉芳が言うと
「そんなつもりで言った訳じゃないよ……お前は自由な身さ。 お前の自由にしていいけど……ただ、花魁としては置いておけないのさ」
これは玉芳にも、采にも辛い言葉であった。
長年、花魁として活躍した玉芳には厳しい現実を解らせる為の言葉だった。
「わかりました。 では、身の振り方を決めさせていただきます」
玉芳は、涙声で采に言った。
采は玉芳の肩を抱き寄せ、「本当にありがとう……」 と、言った。
「ねぇ、お婆。 本音を聞かせて。 お婆は、私にどうなって欲しい?」
玉芳の言葉には邪心《じゃしん》など無く、采と本音で言える仲だったが、
「私は、お前には幸せになって欲しい……ただ、それだけなんだよ」 采も本心なのであろうが、大事な事を隠していた。
「幸せね~。 私も十年以上、ここで育ちました……でも、お婆は大事な言葉を隠したままなんですね」 玉芳はニコッと笑った。
「ば、馬鹿野郎……年寄を泣かすんじゃないよ」 采は慌てて下に降りて行った。
采と入れ替わりに、勝来が部屋にやってきた。
「失礼しんす……」
「勝来、良いところに来た。 今日の予定は?」
「はい。 ありますが……大江様です」
「そっか……支度をお願い」
そして花魁道中。
「通ります。 三原屋の玉芳花魁が通ります」 梅乃の声が響いた。
「大江様……」 玉芳が引手茶屋で声を掛ける。
「玉芳……」 大江は驚いていた。
いつもなら、黒い着物がメインである玉芳だが、今回は白の着物で現れたのだ。
そして三原屋に到着すると、
「大江様、私は用意がございますので……」 玉芳が言うと、部屋を出ていった。
大江が待つこと二十分、玉芳が部屋に戻ってきた。
「??」 大江が首を傾げた。
玉芳は着物を脱いで、浴衣で部屋に入ってきたのだ。
「どうしたんだい? そんな恰好で」 大江は驚いたままだった。
そして、玉芳は正座をして大江の目を見て
「身請け、お受けさせていただきます。 妻になるのですから、こんな格好も良いでしょ♡」 玉芳は、正座のまま礼をした。
「本当かっ!?」 大江は大層に喜び、祝宴《しゅくえん》となった。
「今からで間に合うかしら……小夜、お婆を呼んできて」 玉芳が言うと、足早に小夜は足早に一階に向かった。
そして小夜が、采に耳打ちをすると
「―本当かいっ?」 采は、慌てて二階に向かった。
「おいっ! 玉芳」 采は襖の外からの声掛けもせずに、豪快に襖を開けてしまった。
「お婆……失礼ですよ」 玉芳がクスクスと笑うと、大江も笑いだした。
「失礼いたしました……」 采は膝をついて無礼を詫《わ》びた。
「お婆……厄介《やっかい》払いできましたね」 玉芳は、ウインクをして采を見た。
「そんな訳ないだろう……グスッ」 采は泣き出してしまった。
「それより、大江様……玉芳をお願いいたします」 采は再び、大江に頭を下げた。
数日後、玉芳の身請けの儀《ぎ》が盛大に行われた。
第九話 母の声五月、桜の花が全て葉に変わった頃、一人の妓女が吉原から出ていく。長年、三原屋のトップに君臨していた玉芳が身請けされるのだ。「本当に、この時が来るなんてね……」 采が涙ぐみ、話す。「今まで、本当にありがとう……母様《ははさま》」 そう言って、玉芳が采に抱き着いた。三原屋は、とてもファミリー感覚な妓楼である。「父様《ととさま》も、本当にお世話になりました」 ここでも玉芳が文衛門に抱き着いた。一階の大部屋では、祝賀ムードになっていた。妓楼の見世先には大量の花が届き、幕《まく》まで出していた。「おや、梅乃は?」 玉芳がキョロキョロして梅乃を探していた。「こんな所に居たのかい……」 玉芳は、台所に座っていた梅乃を見つけた。「すみません……なんか、急に寂しくなって……」 梅乃は、涙をポロポロと流しながら話していた。「また、会いに来るから」 玉芳はニコッとして、梅乃の頭を撫でた。「もうじき、大江様が到着されます」 男性従業員の言葉が聞こえ、一斉に支度に取り掛かるのであった。「梅乃、小夜、しっかり勉強をするのですよ」 玉芳は、母親のような口調だった。そこには、梅乃も、小夜も同じ気持ちでいた。妓女としてだけではなく、母親のような存在であった玉芳の引退に、幼い二人には厳しい現実であったのだ。そして、大江より先に花魁同士で しのぎを削《けず》ってきた仲間が祝福に訪れてきた。「玉芳花魁……おめでとう」 長岡屋の喜久乃と、鳳仙楼の鳳仙である。「なんだ~ 来てくれたの?」 玉芳は、この上ない笑顔だ。「当たり前じゃないか! 大見世の花魁同士だよ」 玉芳を始め、喜久乃や鳳仙と言った大見世の花魁が集結した三原屋は賑やかである。ただ、一般の妓女からすれば天上人である。 生きた菩薩の三人の空気に圧倒されるばかりであった。「紹介するわね。 喜久乃花魁と鳳仙花魁よ!」 玉芳は、二人を三原屋に紹介していた。「あれ? あの娘《こ》は?」 喜久乃がキョロキョロしながら言い出した。「あの娘?」 玉芳が首を傾げる。「ほら、禿の元気な娘よ。 梅乃だよ」 鳳仙が説明した。「あぁ、台所で泣いてるわよ」 玉芳は、苦笑いで答えた。「仕方ないか……本当に母親みたいだもんね」 鳳仙は勉強会などで、玉芳が率先していたことを知っているだけに梅乃の気持ちも解っ
第八話 覚悟の時「えっ? こんな昼間に共ですか?」 梅乃と小夜が驚く。「そう。 勉強をしましょう」 玉芳は、そう言って出かける準備を始めた。そして向かった先は、仲の町にある瓦版《かわらばん》であった。「ごらんなさい。 ここに沢山の記事があるでしょ! ここから文字や出来事を頭に入れなさい」 梅乃と小夜は、瓦版を覗き込んだ。「これは何て書いてあるんですか?」 小夜が玉芳に聞くと、「これは、法度。 禁じられてる事を言うのよ」 玉芳は丁寧《ていねい》に教えていた。そこに鳳仙が現れた。「おや? 玉芳花魁、今日は昼間からどうしました?」「あぁ、鳳仙か……この娘たちの勉強さ。 妓楼の中での勉強は限られるからね」玉芳が二人を外に連れ出したのは、妓女としてだけでなく一般教養《いっぱん教養》も大事だと思っていた。「なんで、妓女だけの教養だけじゃダメなんだい?」鳳仙は不思議に思って、玉芳に聞いた。「そりゃ……もし、誰かに身請けされても一般の教養が無いのに吉原を出たら不便だしね。 できる限りの事はしてやりたいのさ」玉芳の言葉に鳳仙も小さく頷いた。「それなら、私もやるわ。 それだったら、禿たちの学校でも作ってあげたいね」一流の花魁は、物分かりが良すぎていた。 また、それが世間知らずで育った証拠でもある。それから日中の午後は玉芳と鳳仙の部屋、交互《こうご》で禿たちの勉強を行った。「私ですか? まぁ、それくらいなら……」そして、講師として妓楼で働く男性が招かれた。妓女であれば吉原から外には出られず、情報も少ない。 ここは、男性に習うのが一番だと玉芳は思っていた。まず、読み書きから始まった。捨て子である梅乃と小夜は一生懸命に勉強していた。また、鳳仙に付いている禿も頑張っていた。「ほら、絢《あや》。 アクビしない」鳳仙が注意している。鳳仙楼の禿は絢という。 絢は男の子みたいに髪が短く、快活《かいかつ》な女の子である。そして、親の借金返済の為に吉原に売られた禿でもある。そして勉強が始まって、数週間が過ぎた頃「しかしさ~ 面倒見が良いよな……ただ、本当に禿の将来を思ってだけ?」鳳仙は唐突《とうとつ》に聞いてきた。「そうよ……ただ、私には時間が無いから……」 玉芳の言葉に、鳳仙は合点《がてん》がいった。(確かに、玉芳は三十近くなる。
第七話 禿「会いたかった……」 近江屋の禿は、小夜の手を握っていた。「あ、ありがと……私、小夜。 あなたは?」「私、静(しず)。 よろしくね」 笑顔の二人に、梅乃がヒョコッと顔を出す。「小夜~♪ お友達?」「うん。 静って、近江屋の禿なんだって」 小夜は上機嫌であった。内気な性格で、梅乃しか友達が出来なかった小夜が、自力で友達を作ってきたのだ。「良かった♪ 私、梅乃。 よろしくね♪」こうして三人の禿は仲良くなっていった。時間が空いた時は、よく三人で話しをする仲になっていった。「そういえば、この前の妓女の事なんだけど……」 小夜がお歯黒ドブで亡くなっていた妓女の話を切り出す。「あぁ、秀子さんね……」 この話しになった途端、静は表情が暗くなった。「いい人だったの?」 「うん。 私にとってお母さんみたいな人だったの……」「そっか……」 「お母さんか……どんななんだろう」 梅乃が小さい声で言った。「お母さんは?」 静が、静かに聞くと「知らない……私と小夜は、赤ちゃんの時に大門の前に捨てられていたんだって」 梅乃も声が小さくなっていた。「そっか……私は、家が貧しくて売りに出された」 静も、なかなかの人生であった。「みんなで良くなるように願掛けしようか?」 小夜の提案で、桜が散ってしまった木の下で手を繋いだ。“ニギ ニギ ” 「みんな良くな~れ♪」他の見世であるが、同じ禿同士で仲良くなった三人であった。「梅乃~ 小夜~」 玉芳の声がした。「はいっ」 「昼見世の時間、茶屋に行くよ! 用意して」玉芳が昼間から営業が入ったようで、付き添いを言われた。そして茶屋に入り、玉芳は茶屋の主人と話しをしている。梅乃と小夜は、少し離れた場所で待機をしていた。「梅乃ちゃん、小夜ちゃん……」 二人を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと「静ちゃん」 「えへへ。 今日はどうしたの?」 静の表情は明るかった。「今日は、花魁と一緒に来てるの」 「私も♪」どこの禿も、やることは一緒である。用事が住んだらしく、玉芳が振り向き「梅乃、小夜 行くよ」 と、言った時である近江屋の妓女、小春が茶屋に来ていた。「小春じゃない?」 玉芳が、声を掛けた。「あぁ……玉芳 花魁」 小春は頭を下げた。小春は玉芳より年上で、年季が明けてやり手婆になるらしい。
第六話 縁日「おはようございます。 いい天気ですよ、花魁」 小夜が窓を開け、玉芳を起こした。「―眩しい。 それに、昨日は飲み過ぎた……」 玉芳は頭を押さえている。「今日は、九(く)朗(ろ)助稲荷(すけいなり)様の縁日でございます。 花魁も支度なさってください」吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。九朗助稲荷では毎月、午(うま)の日は縁日とされている。出店が並び、毎回賑わっていた。「うぅぅ……頭が痛い……」 玉芳は重い体を起こし、着替えていた。この縁日は、花魁たちのパレードのような催しがあり「花魁、通ります!」 この掛け声から、見世の行列が始まる。「三原屋、玉芳花魁が通ります」 梅乃も元気よく、声を出していた。この花魁道中で、世間を下に見るような仕草が一段と人気を博していた。 しかし 「頭が痛い……」 玉芳の頭痛は改善されなかった。 「もう少しです。 花魁……」 勝来が気を利かせ、言葉を掛ける。そして、九朗助稲荷に到着し、三原屋全員で手を合わせた。 「お前たち、いなり寿司を食べようか」 店主の文衛門が、妓女や禿にまで振舞っていた。 「おいしい♡」 梅乃と小夜も、喜んで頬張っていた。 縁日を楽しみ、妓女たちの数少ない笑顔が溢れる中、問題が起きた。 「―花魁?」 玉芳が倒れてしまった。 当然、他の見世の妓女や客も居る中の事態で、周囲はザワついていた。 妓女は車を呼び、玉芳を乗せて三原屋に戻った。「お医者様……どうでしょうか?」 文衛門が聞いていた。「様子見……ですな」 妓女に体調の異変など、当たり前である。長年、妓女をやっていると梅毒に掛かるリスクがある。妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われていた。そのほとんどが梅毒である。 「貰ったかね……」 玉芳は、半分は覚悟していただろう。 文衛門は、玉芳の頭を撫でた。 三原屋でも梅毒に侵され、亡くなった者も少なくない。 “最後には優しく…… ” が、文衛門の決まりであった。 「あら……その優しさ……やっぱり、そうでありんすか……」 文衛門の優しさが、玉芳は察したようだ。 そして、三原屋には重い空気が流れた。 中には、次の花魁が誰になるかの話しまで出だしたのだ。 (玉芳花魁が梅毒と決まった訳じ
第五話 下世話なヤツラ「おはようございます」 梅乃は昼見世の時間前に、玉芳の部屋に行くと「ふわぁぁ……おはよ」 少し寝ぼけている玉芳が返事する。 それから玉芳と梅乃が小さい声で会話をしていた。 「なに? 本当かい? 行くよ」 玉芳が布団を蹴り上げ、起床した。 梅乃が話したことは、三原屋の妓女と余所の見世の妓女とで喧嘩になったとの噂を玉芳に話したのだ。 「場所はどこだい?」 玉芳は気合が入っていたが、何故か顔が嬉しそうであった。 「なんか花魁……楽しそうですね……」 梅乃は小さい声で玉芳に言うと、 「そんな事ないわよ! 心配なだけさ」 『ふんす!』 最後に気合を入れていた。 (これは、絶対に楽しそうだ……) 梅乃は思っていた。 そして喧嘩の場所へ来た。 「お~♡ やってる~♡」 玉芳が とっても嬉しそうにしている顔を、梅乃は初めて見た。 「待ちな……」 そして玉芳が割って入る。 「なんだい?」 威勢のいい妓女が玉芳を睨んだ。 「ほう……言うね~ 私を知っての言葉かい?」 玉芳は長いキセルを くゆらせながら言った。 「この喧嘩に玉芳花魁が出るのは……いただけないね」 喧嘩をしている妓女の一人が言った。 「ウチの見世に文句あって喧嘩しているんだろ?」 玉芳が睨むと 「???」 相手の妓女たちが首を傾げた。 「???」 言った玉芳も、相手の反応に首を傾げた。「って……アンタ、誰?」 「私は鳳仙楼(ほうせんろう)の二代目鳳仙だよ」「私は長岡屋の喜久乃……」「……」 玉芳は、ポカンと口を開けていた。どうやら喧嘩の場所を間違えていたようである。『ポカッ―』 玉芳は恥ずかしさのあまり、梅乃の頭を叩いた。「お前、ウチの娘じゃねーじゃねぇか!」 「もう少し先なんですが、花魁が勝手に喧嘩を見つけて乱入したんじゃ……」「それを早く言え!」 追撃の一発で、梅乃を叩いた。そして喧嘩の場所へ「待ちな!」 玉芳が参上した。「なんだい?」 喧嘩をしていた妓女が、玉芳を睨む。 「念の為だ、見世を聞こう……」 玉芳は、さっきの間違いから恥ずかしさを知ってしまったようだ。 「小菊屋の高吉(たかよし)だよ」 「ふむ……お前は?」 「花魁、私をお忘れですか??」 玉芳は、妓女の顔を覗き込む。 「ウチの松代(まつしろ)姐
第四話 継がれし想い 「ほら、いつまで寝ているんだい!」 朝の五時、梅乃は大声で起こされた。 「ふえ……?」 寝ぼけ眼で梅乃が目を覚ますと、妓女の大部屋が騒がしい。 “キョロキョロ……” 大部屋を見ると、全員が起きていた。 「起きた?」 小夜が梅乃の横に、チョコンと座る。 「なんで、こんなに早いの?」 「知らないの?」 小夜が驚いたように言った。 「江戸町二丁目の近藤屋が店を閉めるんだって!」 小夜は焦ったかのように話す。ここ吉原には五つの町が存在する。そこは大門(おおもん)から、突き当りの水道(すいど)尻(じり)までの約二百三十メートル真っすぐな道を仲(なか)の町(ちょう)という大通りがある。その仲の町の両脇には、引手茶屋が多数あるそして、東西に分けられた町がある。東側には、伏見町、江戸町二丁目、角(すみ)町、京町二丁目西側には、江戸町一丁目、揚屋(あげや)町、京町一丁目 がある。その中でも、江戸町は大見世が軒(のき)を連ねていた。「へー 近藤屋がね……」 梅乃には、まだピンと来ていなかった。同じ江戸町で、大見世だった近藤屋が閉めてしまうことの重大さに気づくのは、まだ先のことであった。その噂は三原屋でも独占していた。普段なら色恋や、たまに来る舞台役者の話しでもちきりなのだが、今回は近藤屋の話しでいっぱいだった。それは、近藤屋が閉鎖することにより三原屋も妓女を引き取るからだ。ある程度、大見世である三原屋だが定員はある。良い妓女が来れば、売上の悪い妓女は去らねばならない。それは、他の中見世や小見世に行かなければならないということであり、年季が明けるまでは避けたい事態である。このピリつい空気に、梅乃と小夜も察してきた。「お前たち、禿は良いよな……時代が被らなくて……」 妓女の一人が言う。 しかし、いつの時代にも大変な時期はある。梅乃たちでさえ保証はないだろう。そんな中、やはり近藤屋の妓女が三原屋にやってきた。「よろしゅう、お頼み申しんす……」近藤屋からは、四人の妓女を引きとった。 「おや? 貴女は此処の禿だったの?」 近藤屋から来た、一人の妓女が梅乃に話しかける。 この妓女は、花緒と言う。 「はい。 ご存知だったのですか?」 梅乃は驚いたように話す。 「えぇ、いつも桜の木の下で泣いていたで